支援活動
ニューホープ職業訓練校 運営支援
《 支援に至った経緯 》
1994年にルワンダでは民族闘争による大虐殺が行われ、活動を始めた1995年にはあちらこちらに戦争の傷跡があり、死体も散乱している状態でした。その当時は、不足している物資の支援を何度か試みましたが、物を与えるだけでは生きる意欲が育たず、本当の意味でルワンダの人々の支援にはならないと実感しました。 多くの男性が戦死し、女性の人口が全体の70%に至り、ルワンダ政府も女性の自立・教育なくしては国の発展はありえないと発表しました。また、孤児を対象とした調査を行い将来の夢を聞いた時、「生きたい」「両親がいて、食べる事に困らず、学校に行ける普通の生活がしたい」と切願していました。この言葉からどれだけ悲惨な毎日を送っているかが伺えました。 このような子供達の夢を実現させるためには、女性たちが経済自立できることが、内戦後ルワンダが目指している平和と再建につながると考え、女性(特に未亡人)と孤児を対象とした技術教育に取り組むことにしました。 現地女性NGOと共に、1996年、首都キガリで洋裁教室を始めました。その後、洋裁だけではなく、他の技術も学びたいという希望もあり、「職業訓練校」の建設の支援をし、1998年に開校しました。
《 ニューホープ職業訓練校 》
コース内容
各コース就学期間は1年間。2010年の学費は、コースによって違うが、
年間160~250$
洋裁コース![]() 基礎知識を学んだ後、理論と実習(型紙作りを含む)の授業を中心に行うが、実習に比重をおいている。小学校男女用制服、シャツ、ズボン、ワンピース、スーツの作り方を学び、学年末には市街地のアトリエなどへ約1か月の学外実習に行き、実力をつける。
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美容理容コース![]() 基礎知識を学んだ後、理論と実習の授業を中心に行う。へアーアレンジの仕方、エステティック(化粧、マニュキア、ペディキュアなど)、マッサージを学ぶ。学年末には、美容室などで、約1ヶ月の学外実習を行う。
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料理コース![]() 基礎知識を学んだ後、理論と実習の授業を中心に行う。さまざまな料理(ホテル等で使えるような料理中心)の作り方、接待マナーの方法、保存食の作り方、栄養学を学ぶ。学年末にはホテル、レストランで学外実習。
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刺繍コース![]() 基礎知識を学んだ後、刺繍をいれたテーブルクロス、ベットカバーを作っていく。このクラスは特に算数や読み書きができず、他のクラスに入学できない生徒の為に設けられており、刺繍の技術を身につけ、自立していけるよう配慮している。
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その他の教科
●月1回程度、モラル教育とエイズ予防教育を実施。
●英語とフランス語の授業を1週間に2時間ずつ実施。語学は就職に有利。
●各コースに経営学の授業を3週間実施。

経営学クラス
ビジネスグループの作り方、ビジネスの運営方法、資金調達と返済の方法、領収書の作成方法など、具体的な実習をしながら最後は自分達で計画書を練り、プロジェクトを作っていく。参加型の授業なので、生徒の心も頭もオープンになる。
内戦によるトラウマをもつ生徒の教育にも活かされている。技術教育の面でもより理解が深まっていくという結果がでている。
特色
- 1999年1月より、学業継続が困難な生徒に対する里親制度を導入。日本などの海外から里親を募集している。金額は1年間(1月~12月)で28000円。学費、教材費、制服代、学外実習交通費など支援。
- 現地の孤児支援団体と協力し、戦争孤児の学費支援を受けている。
- 職業訓練校は教育省の管轄下にあるため、政府公認の卒業証明書を発行することができ、就職に有利となっている。
里親制度
ルワンダ学生の里親になりませんか?

ルワンダには内戦後孤児や貧困のため、学びたくても学べない子供達が多くいます。そんな子供達に里親を紹介して支援しております。 里親の会費は1人年間2万8千円で、このうち20%は事務経費とし、残り80%は里子への学費・文具代・校外学習の交通費等として本人に支援しております。 里親の方には、手紙や写真で里子達と交流して頂いております。なお期間は毎年1月からの1年間となっています。 詳しいことはルワンダファミリー事務局までお尋ねください。申込みはTEL・FAX・郵便・メールで受付けております。
第12回里親募集要項と申込書(Word/docファイル)
里子訪問
スタディツアー
ルワンダの現状、支援内容を理解して頂くには、現地に足を運び、実際皆様の目で見て、感じることが一番だと考えております。
- 時期 不定期(現在まで隔年に1回行なっています。)
- 期間 1週間~10日間
- 内容 職業訓練校訪問、里子宅訪問、観光など
《 今までのスタディツアー 》
- 第1回 2003
- 第2回 2005
- 第3回 2007
- 第4回 2009
《 参加者の感想 》
ルワンダでのボランティアの感想【K くん 学生19歳】
僕がルワンダに行ったのは2009年の8月中旬から9月下旬までです。その間、ルワンダは乾期で、幹線道路を1本入った道では砂埃が舞っていました。
ルワンダでは、キャッサバも食べられていますが、米も珍しくありません。食事は基本的に1つのお皿にご飯、イモ、スパゲッティ、サラダを載せたものに豆のスープを掛けたもの[k1]を食べています。他にも、ジャガイモを揚げたもの[k2]やキャッサバを餅のようにしたもの[k3]、小麦粉を伸ばして焼いたもの[k4]など、種類こそ多くありませんが、我々日本人が食べても美味しく食べられるものが多いように感じます。
言語は、現地の人はキニヤルワンダと呼ばれる独自の言語を日常的に喋っています。しかし、国土が小さく、諸外国との交流も盛んなことから、フランス語や英語、スワヒリ語などの外国語を話せる人はたくさんいます。中には、4か国語を不自由なく話す人もいます。
アフリカ人といえば、踊りが好きで背が高く、陽気な人をイメージするかも知れません。もちろん、中にはそういう人もいますが、そういった人が全てということはなく、逆に物静かであまり自分の主張をしない人もたくさんいます。外国人に対してはすごく友好的で、道を歩いているとよく声を掛けられますし、いろいろもらったりします。物乞いはほとんど居らず、逆にもらうことのほうが多かったです。子どもたちもとても元気で、学校が終わる時間に外を歩いていると、僕の周りを取り囲み、屈託のない笑顔で話しかけてきてくれます。
虐殺のイメージが強いルワンダですが、現在はとても平和な国です。真夜中に独り歩きしても全く身の危険を感じることはなく、初対面の人と日が変わるまで飲むなどということも頻繁にありました。ただ、手足に障害を負った人がたくさんいたのは虐殺の影響なのでしょう。また、普通に会話している中でも、虐殺に繋がりそうな話題になると途端に喋らなくなる人や表情が暗くなる人がほとんどで、虐殺で両親を失った子どももたくさんいます。今でもあの凄惨な虐殺はルワンダに影を落としているのでしょう。
虐殺当時は社会資本が荒廃したそうですが、現在は中心街[k5]では24時間営業のスーパーマーケットがあり、高層ビルが建設されているなど、発展してきているようです。道路も、幹線道路はどこまでもアスファルトが敷かれており、中心街においてはむき出しの地面は全く見られないほどです。しかし、街の外では、幹線道路を1本中に入ると砂塵の舞うアフリカンロードがあり、トタン屋根に土壁の家が立ち並んでいます。ルワンダは、「千の丘の国」と呼ばれていて、とにかくたくさんの山があります。逆に平地はほとんどなく、自転車の存在を知らない人もたくさんいるほどです。だから、バイクタクシーや路線バスが発達していて車を所有している人も多いことから、交通量は多いです。また、その地形故に農業の発達が遅れていて、農作物が取れにくいことから、近隣の国から輸入された農作物がよく見られます。
最近、ルワンダにも日本大使館が出来ました。今まで地理的にも、心理的にも遠かった日本とルワンダですが、日本とルワンダとの距離が縮まって、交流が盛んになればいいなぁ、虐殺だけでない違う側面からもルワンダが取り上げられればいいなぁ、と思います。





